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林昌範出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。
経歴千葉県船橋市出身。父は船橋市で自動車教習所を経営している。林は18歳の時には既に免許を取得していた。 プロ入り前市立船橋高校3年時の2001年に、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツ(巨人)から7巡目で指名され入団。同ドラフトでの巨人の「隠し球」的な投手だった。母校は「市船」の通称で知られる千葉県有数のスポーツ校で、林は大型左腕として評価されていたが、公式戦で足に重度の骨折を負い、他球団が指名を回避している。入団時の背番号は96。 巨人時代2002年、ルーキーイヤーのこの年は一軍登板なしに終わった。 2003年序盤、二軍ではローテーション投手として9試合に先発し1完投、防御率3.22と飛びぬけた成績ではなかったが、6月28日に故障による一軍先発左腕の不足を補うため初昇格し即先発。140キロ前後の球速ながら今中慎二を彷彿とさせる、ゆったりとした球の出所の見にくいフォームを武器に相手打線を7回1安打無失点に抑え、そのまま一軍ローテーションに定着する。8月14日にはプロ入り初勝利を挙げるなど15試合に登板し防御率3.22、3勝3敗の成績を残した。 2004年、背番号が30となり、先発投手として25試合に登板するが、防御率4.89、3勝9敗と数字を下げる。 2005年、池谷公二郎コーチの指導でスリークォーター気味に投球フォームを改造。先発ローテーションを内海哲也と争ったが敗れ中継ぎに転向すると、フォーム改造の効果も相まって平均球速が140キロ台後半まで上昇。セットアッパー、シーズン中盤以降は抑えとして安定した投球を見せ2勝2敗18セーブ、防御率1.61の好成績を残す。オフに原辰徳が監督に復帰するが、引き続きリリーフでの起用となる。 2006年、構想では久保裕也から左の中継ぎエース林に繋ぎ、新加入の豊田清で締めることになっていたが、久保と豊田のピッチングが不安を見せる中、林1人が1年を通し安定した投球を続けた。しかし一方でシーズン終盤には慢性的な肘痛を訴え、ときおり痛み止めの注射も打っていたようである。同年オフの検査で肘に遊離軟骨(ねずみ)を抱えている事が判明したが、クリーニング手術(内視鏡による遊離軟骨摘出手術、骨棘除去手術)などの外科的処置をとらず様子を見た。オフには後輩の東野峻を伴ってグアムで自主トレを行った。 2007年、原監督から「岩瀬仁紀(中日ドラゴンズ)のような投手に成長して欲しい」と期待をかけられ、背番号は13に変更された。オープン戦終盤にチームに復帰したが、開幕直後に不調の抑え投手・豊田をカバーするため、4日連投したのち数日ブルペンに入らないなど、持病を抱えながらの変則的な登板過多が響き、7月前後から急激に調子を落とした。オールスターゲームにファン投票で選出され出場したものの直後に登録抹消、8月に再昇格するが1試合に登板すると肘をかばい左肩甲骨に違和感を訴え、再び登録抹消された。 同年10月のクライマックスシリーズ第2ステージにて戦線復帰。第1戦にワンポイント登板、第2戦にはイニングをまたぎ1回1/3登板。打者6人を被安打0、2奪三振、1四球に抑えている。シーズン終了後まもない同月末に肘のクリーニング手術を行った。同シーズンは持病の肘痛を抱えながらも、序盤戦で唯一の勝ちパターンで信頼できるリリーフ投手として、また前半戦の左のセットアッパーとしてリーグ優勝に貢献。離脱した時期とチーム成績の下降した時期とがほぼ一致しているが、公傷は認められず年俸微減で更改した。12月7日、当時テレビ東京のアナウンサーだった亀井京子と結婚。2008年10月には第一子となる長女が誕生。 2008年は前年末の肘手術の影響で、キャンプインから二軍で調整。5月20日に一軍復帰したものの制球が乱れ、僅か2試合で二軍降格した。その後ウィルフィン・オビスポとともに二軍のクローザーとして起用されながら再調整を続けた。8月17日の広島東洋カープ戦で2ヶ月ぶりに一軍に復帰し、9月10日までに7試合に登板、そのすべてで三振を奪い、計7.2イニングを投げ自責点2、1イニング3奪三振を含む奪三振13と素晴しい数字を残し、球速の最高値は時速146キロを記録した(ただし速球は制球が利かず、高い奪三振率は時速130キロ台の速球を「見せ球」に変化球で奪ったものであった。球数が増えたことで四球・エラーからの失点も増加しており、無失点に抑えた試合は7試合中3試合となっている)。 同年11月14日、マイケル中村・工藤隆人との交換トレードで二岡智宏とともに北海道日本ハムに移籍。背番号は19に決定。 日本ハム時代2009年、抑え候補としても期待されたが、練習試合で打ち込まれるなど不調でファームで調整することになる。開幕は二軍で迎えたが5月に一軍昇格、同2日に初登板。同20日には古巣巨人から移籍後初勝利を飾った。奇しくも2007年6月11日の交流戦対日本ハム戦以来709日振りの勝利。主に、勝ちパターンでゲーム中盤の対左のワンポイントの中継ぎとして使われる。 プライベートでは、2010年9月2日妻である亀井京子が第2子となる長男を出産。 プレースタイル貴重な中継ぎ左腕である上、三振奪取能力も高い。武器は長身から繰り出す時速140キロ台後半の威力あるストレートに、スライダー、落差のあるフォークボール。スライダーには球速があり鋭く曲がるものと、ゆるく大きく曲がるものとがある。右打者へのクロスファイアも武器の一つとしている。アウトを取るたびガッツポーズを決めるように、闘志を前面に押し出して投げる投手である。 2005年以降リリーフ投手として実績を重ね、移籍先の北海道日本ハムでも抑え候補として期待されており、本人もクローザー候補に名乗りを上げている。一部では先発志向も伝えられたが、梨田昌孝監督が先発起用を示唆した際に本人は調整法の違いから難色を示している。 詳細情報年度別投手成績
背番号
個人記録
関連項目外部リンク
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