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ニュージーランドは、南西太平洋のポリネシアに位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、2つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れてオーストラリア大陸と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがある。イギリス連邦加盟国。
国名正式名称は英語で New Zealand(ニュージーランド)、及びマオリ語で Aotearoa(アオテアロア)。略称は、NZ。 日本語の表記は、ニュージーランド。漢字による表記は、新西蘭であり、略称は、新。なお、中国語の俗語でニュージーランドの漢字表記は、新疆ウイグル自治区と西蔵自治区、蘭州の頭文字をとり、中国西部を意味することもある。 New Zealand という国名の由来は、歴史の項を参照。また、マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲のたなびく地」という意味("ao"=「雲」、"tea"=「白」、"roa"=「長い」)。元々は、北島のみを指す語であり、かつてはニュージーランド全体を指す語として英語の New Zealand を マオリ語に訳した Niu Tireni が使われていた。
ニュージーランドの国鳥キーウィ
愛称は「キーウィ」(kiwi)。ニュージーランドに生息する鳥キーウィから名をとり「ニュージーランドの」という形容詞に用いられることがある。口語でのキーウィは「ニュージーランド人」という固有名詞に用いられる。キーウィの呼び名にニュージーランドまたはニュージーランド国民を侮蔑する意味はなく、ニュージーランド側も認めている呼称である(日本を『瑞穂の国』等と呼ぶのに近い意味)。なお、外国為替の世界で使われるキーウィはニュージーランド・ドルを示す(例:"kiwi"または"kiwi dollar"は、NZドルのこと。為替ディーラーの間でも使われる)。 地理ニュージーランドの面積は、268,680km²である。 ニュージーランドは、北島と南島の2つの主要な島と多くの小さな島々で構成される。北島と南島の間には、クック海峡がある。 北島(ノースアイランド)には、首都であるウェリントンがあり、政府機関が集中している。また、同国最大の都市であるオークランドは、商業および経済の中心地となっている。オークランドは、オークランド市、マヌカウ市、ワイタケレ市、ノースショア市の4市によって構成されている。オークランドの年間降水日は100日以上で、雨の多い街である。近くの観光名所として、温泉地として有名なロトルア、タウポ、ワイトモ鍾乳洞の土蛍などが有名である。北島は、南島ほど険しい山脈はないが、火山活動が活発である。北島の中での最高峰は、2,797m のルアペフ山である。 南島(サウスアイランド)は、最も陸地面積の大きな島で、中心都市はクライストチャーチ。島の中央には「南半球のアルプス山脈」と呼ばれる南アルプス山脈がそびえる。最高峰は、3,754m のクック山(マオリ語ではアオラキ、「雲を貫く」という意味)で、その他に3,000m 以上の峯が18ある。他にもタスマン氷河、サザンアルプス、クック山、ミルフォード・サウンドのような豊かな自然も有名である。クイーンズタウンは世界的に有名な観光・保養地である。温泉地も各地に点在する。 気候気候はほぼ全土が西岸海洋性気候に含まれ、夏は涼しく、冬の強烈な寒波もない。1年を通して温暖な気候であるが、北島・南島ともに多くのスキー場があり、世界中からスキーヤーが訪れる。南半球の地理的、気候的な条件も好まれ、世界各国のスキー連盟の冬季強化合宿地に選ばれている。 1世帯当りの面積は約500km²、住面積は約200km²である。 生態系
ニュージーランド固有の種の一つ、タカヘ。飛べない鳥であり、絶滅が心配されている。
ニュージーランドの北島、南島およびスチュアート島は太古から大陸から切り離され孤立したため独特の生態系が形成された。とくに注目すべきは、コウモリとクジラなど海洋哺乳類を除けば哺乳類が生息していないことである。 そのため、鳥類が哺乳類が担うべきニッチに適応放散したためキーウィやフクロウオウム、タカヘなど飛べない鳥による生態系が発達した。 しかし人間によって持ち込まれた哺乳類動物(イヌ、ネズミ、シカなど)によってそれら生態系が破壊されたため、現在では生物の持込には厳しい制限を敷く保護政策がとられている。 歴史ポリネシア人開拓者9世紀頃、ポリネシア人開拓者が島々にやってきていて、彼らの子孫は マオリ人と呼ばれる。また、ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に行った子孫はモリオリ人と呼ばれている。モリオリ人がチャタム諸島に、ニュージーランドを経由して来たのか、他のポリネシア地域から直接渡ったのかは今でも議論がある一方、言語学的には証明がなされている[2]。マオリ人はニュージーランド北南島(特に北島)を「アオテアロア」(長い白い雲の土地)と呼んでいた。 最初の居住者はモアというダチョウに似た飛べない大きな鳥の狩猟者たちで、乱獲によりモアを15世紀までに絶滅させた。モアを餌としていたハルパゴルニスワシ(ハースト・イーグルとも。鷲の仲間で、羽を広げると3mもある史上最大の猛禽類)もモアと共に絶滅している。 民族 (iwi) の縄張り (rohe) に分かれていた。マオリは海産物、植物、動物、モア、ポリネシアネズミ、サツマイモ (kumara) を食べていた。 ヨーロッパの探検家ヨーロッパ人として初めてこれらの島を発見したのは、オランダ人のエイベル・タスマンで、1642年12月に Heemskerck 号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨。マオリとの争いがあったために西岸をトンガへ北上し北南島西岸のスケッチをした。彼は、最初、アントウェルペン出身の水夫ヤコブ・ル・メール (Jacob Le Maire) が1616年に発見したチリの南の土地だと思い、"Staaten Landt"(英:"Staten Island")と地図に記した。 1643年にヘンドリック・ブラウエルによって改めて調査され、チリの南ではないと分かると、オランダの知識人はオランダのゼーラント州 (Zeeland) に因み、ラテン語で "Nova Zeelandia"(「新しい海の土地」という意味。英語の "New Sealand" にあたる。)と名付け、後にはオランダ語で "Nieuw Zeeland" と呼ばれた。 タスマンが訪れてから100年以上後、ジェームズ・クックがエンデバーで1769-1770年に訪れた時に、英語で "New Zealand" と呼んだ。クックが "Zeeland" を "Sea land" と直訳しなかったのは、オランダ語の発音の名残と、デンマークのシェラン島("Zealand"。コペンハーゲンがある島)にも因んだためといわれる。ジェームズ・クックはその後の第2次・第3次航海でもニュージーランドを訪れた。その時に北島・中島・南島と名付けたが、中島が今の南島に、その時の南島が今のスチュアート島になった。 ワイタンギ条約以降
ワイタンギ条約締結の絵
1769年、イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行った。この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まった。その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まった。 1830年代前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると、移民はさらに増加した。 1840年2月6日、イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地とした。1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧された。19世紀後半になると工業化が進んだ。 1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立した。第一次世界大戦では志願兵によるオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) を結成してガリポリの戦いに参加し、激戦を経験した。1931年にイギリス議会は、ウェストミンスター憲章を定め、自治領の独立を認めたが、ニュージーランド議会が独立を決断したのは第二次世界大戦を挟んだ1947年11月だった。また、第二次世界大戦では連合国側に立って参戦した。 経済改革と行政改革戦後のニュージーランドは、イギリスを主な貿易相手国とする農産物輸出国として発展し、世界に先駆け高福祉国家となる。しかし、1970年代にイギリスがECの一員としてヨーロッパ市場と結びつきが強まり、ニュージーランドは伝統的農産物市場を失い経済状況は悪化した。さらに、オイルショックが追い打ちをかけた。国民党政権は農業補助政策を維持する一方、鉱工業開発政策を開始するなど財政政策を行うもいずれも失敗し、財政状態はさらに悪化した。 1984年、労働党のデビッド・ロンギが政権を勝ち取ると、「国民の支持が得られなくともやるべきことは断行する」との固い決意のもと、政権主導の改革を押し進めた。ロンギ首相(当時)とダグラス財務大臣(当時)の改革は、ロジャーノミクスと呼ばれる経済改革につながる。主な事例として、21の国営企業(電信電話、鉄道、航空、発電、国有林、金融など)が民営化され、その多くが外国資本に売却された。大学や国立研究所は法人化され、実質無料であった学費は大幅に値上げされた。保護と規制は撤廃され、外資に門戸を開き、許認可を極力なくし、官僚の数は半減された。これらの改革はライバルの国民党が政権を奪還しても受け継がれ、ニュージーランドはきわめて規制の少ない国になった。 1990年代後半からとりわけ環境問題、自然保護政策に重点を置き、外資に売却した鉄道会社を再購入するなど地球温暖化対策に積極的な姿勢を示している。国内各地でエコツーリズムを開催するなど観光政策と自然保護政策の両立を目指している。また、映画産業の成長により広大な自然地形はロケーション撮影地として映画産業、海外メディアにも広く利用されニュージーランドの広報活動にも貢献している。 政治政体はニュージーランド国王(英: King/Queen of New Zealand)[3]を国家元首とする立憲君主制である[4]。ニュージーランド国王は連合王国国王(イギリス国王)と同一人物であるが、王位は独立して存在する(同君連合)[5]。ニュージーランド政府(通例はニュージーランドの首相)の助言に基づき国王により任命されたニュージーランド総督が国王の職務を代行する[6]。 行政府の長は首相である。議会による選出に基づき、総選挙で最も多くの議席を獲得した政党の党首が選出され、ニュージーランド総督が任命する。副首相および閣僚は、首相の推薦に基づきニュージーランド総督が任命する。 議会は一院制で、パーラメント (Parliament) と呼ばれる。定数は120議席(ただし、比例代表連用制の結果2議席が追加されて現在は122議席)、任期は3年。かつては小選挙区制を採用していたが、現在は小選挙区比例代表連用制(事実上の比例代表制)を採用している。投票者は小選挙区票と政党票の計2票を投じる。投票は18歳以上のニュージーランド国籍保有者と同国の永住権保有者により行われる。小選挙区数は人口分布により変動する。2005年総選挙(定数121議席)では、62の選挙区に加え、マオリ市民の議席を保障するために設けられたマオリ選挙区7を加えた、総数69の選挙区が設けられた。2005年総選挙での政党別議席獲得数は、中道左派のニュージーランド労働党50、中道右派のニュージーランド国民党48、ニュージーランド・ファースト党7、緑の党6、マオリ党4、統一未来党3、ACTニュージーランド党2、革新党1。 労働党のヘレン・クラーク党首(当時)は、ニュージーランドファースト党・統一未来党・緑の党からの協力を得て、革新党との連立政権を発足させた。中道の統一未来党からは閣外協力を得た。労働党・革新党の連立政権は、1999年の総選挙で、労働党と旧連合党の中道左派勢力が連立を組んだのがはじまり。労働党は3期連続して政権運営を担当した。 マオリ党は、ニュージーランドの先住民が海岸の波打ち際や領海内の大陸棚の国有化に先祖から受け継いできたものと猛反発し、固有の権利を主張して結成され、2005年9月の総選挙で4議席を獲得し国政への影響力を強めた。 2008年11月8日(現地時間)に総選挙(第49回ニュージーランド議会選挙)が行われ、ニュージーランド国民党が59議席(議席獲得率45%)を獲得し3期9年ぶりに政権を奪還した。ニュージーランド労働党は43議席(同34%)に減らし野党に転落した。以下、緑の党8議席(同6%)、ACTニュージーランド党5議席(同4%)、マオリ党5議席(同2%)、ジム・アンタートンズ革新党1議席(同1%)、統一未来党1議席(同1%)。ニュージーランド労働党と連立政権を組んだニュージーランドファースト党はピータース党首を含め議席獲得には至らなかった(なお、2008年の総選挙は定数120議席だが、比例連用制の結果により2005年総選挙より1議席増えて122議席、63の選挙区(人口分布により2005年総選挙より1選挙区増)、7つのマオリ選挙区により行われ即日開票された。また、人口分布により9つの選挙区で選挙区名の改名が行われた)。 ニュージーランドは、女性の政治的権利を早くから保障してきたことで知られている。1893年に世界で初めて女性参政権を実現させたのはニュージーランドである。2005年3月には女性が初めて議会議長に任命され、2006年8月までの間二人の国家元首(国王、総督)と三権の長(議会議長、首相、主席判事)すべてが女性で占められた。 ニュージーランドは、イギリスと同様に成文憲法を持たないが、1986年建国法が国の基本法となっている[6]。 日本との関係
地方行政区分16地方に分かれる。
以上の他に、海外領土が3か所ある。本記事中のデータは、これらの領土を含んでいない。 また、南極条約により棚上げされているが、1957年に南極ロス海周辺をロス海属領 (Ross Dependency) としてその領有を主張した。 軍事詳細は「ニュージーランド軍」を参照 ニュージーランド軍として陸海空三軍を有する。直接的な脅威を受ける国家がないために冷戦終結後は、陸軍を主体とした3軍を再編し、本土防衛のほか、国際連合の平和維持活動 (PKO)を重点活動とした。ニュージーランドはオーストラリア、アメリカなどと共に、ANZUS条約に入っている。"ANZUS" の "A" はオーストラリア、"NZ" はニュージーランド、"US" はアメリカを表している。この条約は軍事条約であり、太平洋の安全保障が目的である。また、反核政策を堅持。イラク戦争には反対、派兵しなかったが、対テロ戦争の一環でアフガニスタンやインド洋に兵力を派遣している。 経済鉱業ニュージーランドの鉱業は小規模である。有機鉱物資源では、亜炭(20万トン、2002年)、石炭(371万トン)、原油(150万トン)、天然ガス(244千兆ジュール)が採掘されているが、国内需要と比較すると取るに足りない。幸い高低差の大きな地形を生かした水力発電が国内の総発電量の54%を占めているため、有機鉱物資源の輸入量を抑えることに成功している。例えば原油が総輸入額に占める割合は6.0%に過ぎない。 金属鉱物資源では、金(9.8トン)、銀(32トン)、鉄鉱(45万トン)が目立つ。金の採掘はニュージーランドへ移民をひきつけた最初の要因であった。1860年代に金が発見されると、一気にヨーロッパ系の人口が倍増し、主要輸出品目となったほどである。 工業ニュージーランドの工業は、畜産物の加工が主力である。例えば、世界第3位の羊皮生産(10万トン、世界シェア6.3%、2004年時点)、同第4位のバター(47万トン、5.7%)、同第5位の羊肉(51万トン、4.1%)、同第6位の毛糸(2.2万トン、2.1%)などだ。世界シェア1%を超える生産物は他に、チーズ(29万トン、1.6%)、牛肉(72万トン、1.2%)、アルミニウム(95万トン、1.2%)、製材(429万立方m、1.1%)、リン肥料(34万トン、1.0%)がある。アルミニウムは主要産出国(オーストラリア)に近いこと、水力発電が60%を占める豊富な電力を生かしたものだ。 林業林業、森林業が大変盛ん。対外輸出も好調。2006年度は、およそ31億5000万NZDを輸出し、全輸出額の10%を占める。主な輸出先はオーストラリア、日本、アメリカ、中国など。ラジアータ松(ニュージーランド松)が主力林。木板、繊維板(MDF)の需要が高く、カーター・ホルト・ハーベイなどの林業多国籍企業が主要企業。 貿易
観光年間240万人以上の旅行者が訪れる観光立国である[7]。国別では、オーストラリアからの観光客が全体の4割を占め年間90万人以上が訪れている。その他、主な観光客の出身国はイギリス(29.5万人)、アメリカ合衆国(22.6万人)、日本(13.6万人)、大韓民国(11.1万人)となっている。海外からの観光客による観光収入は63億7千万NZドル、国内の観光客による観光収入は74億6千万NZドル、観光収入はGDPの13%を占める。広大な自然地形とロード・オブ・ザ・リングに代表される映画、環境産業が観光客の増加に貢献。ニュージーランド政府観光局はアジア、北米、ヨーロッパで広範囲な観光誘致活動を行っている。日本からニュージーランドへは、フラッグ・キャリアであるニュージーランド航空が成田・関空から直行便を、その他シンガポール航空などもトランジットではあるが運航している。 農業豊かな国土と地形から農業が盛ん。とくに酪農、畜産が盛んに行われ、およそ3割の輸出品目は農産品で占められる(乳製品19.5%、食肉13.8%(数字は2007年6月)。近年では、国際市場での価格上昇を受け乳製品の輸出が好調。畜産を廃業し酪農へ進出する農家が増加傾向にある。人口の10倍以上家畜が多いため、国際的にも異色の地球温暖化対策を進める動きが出ている。羊や牛のげっぷ・おならに含まれるメタンガスを抑制するというもので、農家からは反発もある。メタンは二酸化炭素よりも21倍温室効果が大きい[5]。フォンテラはニュージーランド最大の企業組織の1つであり生産者組合組織である。 教育1980年代後半より留学生の受け入れを積極的に行い、現在では輸出項目の5番目に教育ビジネス(留学生ビジネス)が入る。留学生により年間$23億NZドル(2008年)の外貨と教育分野で32,000人分の雇用が生み出される。留学生は2002年の126,919人をピークに減少傾向が続き、2008年は88,557人となっている。2008年の主な地域別留学生数は、中華人共和国(20,579人)、大韓民国(17,189人)、日本(10,676人)となっている。 国民総人口は、約427万人である。 人口密度(1km2当たり)約16人である。 民族2006年の国勢調査では、人口の約68%がヨーロッパ人で、次に多いのが、先住民族マオリ人で、約15%である。3番目に多いのは、2006年の国勢調査から新しいカテゴリに加えられた自らを「ニュージーランド人」と認識する人々で約12.9%であるが、そのほとんどは以前はヨーロッパ系に分類されていた人々である。次に多いアジア人は9.2%で、2001年の国勢調査では、6.6%であったのに対して急増している。太平洋諸島人は6.9%である。 宗教英国国教会 14%、カトリック教会 13%、長老派教会 10%、メソジスト 3%、バプティスト 1%、無回答または無宗教 38%(2006年調査)だった。 教育「ニュージーランドの教育」を参照 差別問題ニュージーランドでは、近年人種差別などの差別問題が増加しているとの報告がある。調査を行ったところ、回答者の74%が人種差別を感じていることがわかった。同性愛者や肥満の人間やアジア系やパシフィック系の異民族などが、いきなり訳も無く罵声を浴びたり、何気なく通りを歩いていてごみや水風船を投げつけられたりと、理不尽な差別を受けている[8]。 2009年7月、ニュージーランドにある高等学校で日系学生が現地学生たちから人種差別が動機になったと見られるいじめで集団暴行を受け、頭部打撲の大怪我をして命の危機に遭い、手術をした。[9]。 治安ニュージーランドは安全な国だというイメージが先行しがちだが路上者を襲撃する粗暴事件や凶悪事件が多数発生しており油断は禁物である[10]。2007年7月から2008年6月までのオークランド市における主な犯罪の発生認知件数は「殺人:7件」「強盗:545件」「性犯罪:352件」「麻薬犯罪:2,249件」「窃盗:17,945件」。 文化音楽
映画
世界遺産ニュージーランド国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が2件、複合遺産が1件ある。詳細は、ニュージーランドの世界遺産を参照。 祝祭日
スポーツラグビー旧英領の歴史からラグビー、クリケット、ネットボールの強豪国で知られる。特にラグビーニュージーランド代表オールブラックスは世界屈指の強豪チームであり、試合前にハカを踊る事でも知られる。国内ラグビーも世界屈指のクラブチームが揃いスーパー14に参加している。 2009年10月31日にはオールブラックス(NZ代表)対ワラビーズ(豪州代表)の公式戦が史上初めて東京で開催される。 サッカーサッカーは1982年のワールドカップスペイン大会で出場歴がある。サッカーニュージーランド代表チームは、オールブラックスにあやかり、オールホワイツと呼ばれる。近年、ラグビーと同様、試合前にハカ(HAKA)を披露するようになった。 ワールドカップ南アフリカ大会予選にも参加し、7大会ぶりの予選突破を決めた。[11]。 バスケットボールニュージーランド人初のNBA選手となったショーン・マークスが有名。国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。代表はこれまでにオリンピック出場2回、世界選手権出場3回を誇る。2000年シドニーオリンピックではアフリカ王者のアンゴラ相手に1勝をおさめた。2002年世界選手権では、大方の予想を大きく上回る4位入賞と大健闘。これには世界中のバスケットボール関係者が驚かされ、「大会最大の番狂わせ」と言われた。この大会ベスト5に選ばれたペロ・キャメロンは唯一の非NBA選手だった。2004年アテネオリンピックでは、再び1勝を挙げるのみに終わるが、2002年世界選手権優勝国だったセルビア&モンテネグロ相手に90vs87で破り再び世界を驚かせた。2006年世界選手権では、地元日本に最大18点差つけられるも逆転勝利。パナマ戦にも勝利しベスト16入りした。代表チームのニックネームは「トール・ブラックス(Tall Blacks)」。ラグビー代表同様、試合前にはハカを踊る。 ヨットヨットレースの強豪国でもあり、1995年、2000年のアメリカズカップ優勝。ヨット界に多くの人材を輩出している。 ネットボールネットボールニュージーランド代表シルバーファーンズは世界的な強豪国でもある。 その他
参考文献
文献情報
脚注
関連項目
外部リンク政府
日本政府
観光
その他
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